lemonlemonlemonのブログ

大腸がんの治療についてこれまで経験してきたこや、術後の日常のことを書きたいと思います。

2011年5月2日を思い出す


▲ここまでの3枚は、2006年9月9日



▲9/11 MEMORIAL PREVIEW SITE内

▲2011年5月2日 フリーダム・タワー建設中



▲遠くにジュリアーニさんが見えました(2001/9/11 当時のNY市長)


▲ジュリアーニさん

▲2011年5月2日 スタテン島行きフェリーから



『NY市の「9・11トリビュート・ミュージアム」が恒久的に閉鎖 コロナ禍の財政難で』(→https://www.cnn.co.jp/travel/35192027.html)と言う見出しが目に止まり、思い出せる限りですが、当時を辿ってみました。と言っても、うろ覚えで時間的な記憶が曖昧で、記憶の内容に自信がなくなってきています。とても生々しかった記憶も、今ではセピア色になってしまっています。


レモンは、2001年9月11日(アメリカ同時多発テロ事件)と、2011年5月1日、NYマンハッタンに居ました。2011年5月1日(現地日時)は、アメリカ同時多発テロ事件の首謀者であり国際テロ組織アルカイダ指導者のウサマ・ビンラディン死去(米軍によって殺害)が、オバマ大統領によって正式に伝えられた日です(ネットで調べると、正式発表される前にツイッターでポロリがあったようです)。


恐らくその翌日、日本から遊びに来ていた友人と共にWTC跡地と9・11関連の資料等が展示されていた「9/11 MEMORIAL PREVIEW SITE」(現在の「ナショナル セプテンバー11メモリアル & ミュージアム」の前身)を訪れていた時の事です。
(ややこしいのですが、「9・11トリビュート・ミュージアム(テロの犠牲者を追悼する事を目的に建てられた博物館」と「9/11 MEMORIAL PREVIEW SITE」は別の施設です)


施設内を見学し終えて外に出たところ、目の前に多くの報道陣(複数のテレビクルー)が押し寄せてきていました。最初何が起こっているのか分かりませんでしたが、ウサマ・ビンラディン殺害が報じられた翌日ですから、こう言うことになるのは不思議ではありません。レモンは、元々そんな事になるなんて想像もせず、観光ということで予定通りに行動していただけでした。


あたりを見回すと、ニュース番組でお馴染みの各局アナウンサー達が、WTC跡地を背景にこのニュースを報じていました。2001年テロ事件当時ニューヨーク市長だったジュリアーニさんもここでインタビューに応じていました。群衆の中には、国旗を掲げて「USA USA」と叫んでいた人の姿もありました。今思えば、この歴史的瞬間、この場に居合わせていた事が信じられません。


これほどまでに世界を震撼させた事件でも、20年という年月で風化しつつあります。戦争やテロは、何の非もない普通の市民が巻き込まれて犠牲になり、多くの人々の心に深刻な傷を残し、刻まれた傷を癒すことは簡単ではありません。犠牲者を哀悼する場所として建てられた
「9・11トリビュート・ミュージアム」。そういう施設が資金難で閉鎖というのは心苦しいですが、資料の一部は別の施設に移され展示され教育などに生かされるそうなので、少し安心しました。