lemonlemonlemonのブログ

大腸がんの治療についてこれまで経験してきたこや、術後の日常のことを書きたいと思います。

あの世へ行ったとき、会える人が一人増えました。。。

また一人、逝ってしまいました。


父から電話が来て、「⚪︎⚪︎ちゃんが亡くなった。がんだったらしい。葬儀も終わっている」と...。
父もそれ以外の詳しいことは聞いておらず、いろいろ私が質問しても分からない様でした。
⚪︎⚪︎ちゃんが亡くなったなんて、何の前振りもなく、あまりにも急な連絡。
しかも、がんだったなんて...
父に聞き直したところ、乳がんではないかとのこと。
あまりにも衝撃的な連絡に、ショックで呆然としてしまいました。


従姉妹(いとこ)は同い年。
彼女は頭が良く成績優秀、美人でスタイルも良く、芯が強くてしっかりしていて、明るくて優しい性格。
ということで、小さい頃から私は何かと彼女と比べられていました。
彼女と比べられるのはすごく嫌でしたが、もう何をしても彼女には叶わず、いつの間にかそれを自然と受け入れていました。
彼女とは気が合い、とても仲良しでした。
最後に会ったのは、お互いの結婚式の時かもしれません...


彼女の実母(私はおばちゃんと呼んでいました)は、褒めるところが無い私に対して、
何かしら見つけて褒めてくれる人でした。
従姉妹が亡くなったと聞いた時、すぐにおばちゃんのことを思い浮かべました。
おばちゃんのことを考えると、胸が張り裂けそうになります。切なすぎる...


毎年、従姉妹と私は、年賀状で近況報告をし合っていました。
昨年の年賀状に「夏から体調を崩して通院中です。今年こそ体力をつけたいな」と書いてありました。家族で撮った写真が印刷されていて、従姉妹は少し痩せているように見えたので気になっていましたが、まさか、闘病中だったとは...


私も昨年春に大腸がんが発覚して、手術を受け抗がん剤での治療をしていたのですから、
同時期に闘病していたことになります。
私も、従姉妹には<がん>のことは話していませんでした。
もう何十年も会っていないので、あえて話すというのも勇気がいります。
病気のことを隠していたというより、治療や日常生活の多忙さでそれどころではなかった、もっと生きるつもりだった、かもしれません。
お互い、この世で病気のことや闘病のことを話すことはありませんでしたが、私は、彼女が彼女らしく生きたのだと思いますので、その生き方を尊重したいと思います。
いつか、あの世で会った時に話が出来れば嬉しいです。


話は変わりますが、有賀さつきさんが急逝したニュースは記憶に新しいと思います。
病名は本人の強い希望で家族にも伏せられていたと報道されていました。
いろいろな考え方があると思いますが、私には有賀さんが実の親にも知らせなかった気持ち、痛いほど伝わってきて、わかるような気がします。
従姉妹も実母には話してなかったそうです。
おばちゃんは、「私も何も知らなかったのよ。でも、きっと、あの子の運命だったのね...」と。私は涙で何も話せず、ただただおばちゃんの話を聞くのが精一杯でした。


従姉妹のことを思い浮かべていたときに、ちょうどこの花が咲いていました。
直感的に彼女のイメージにピッタリの花だと!
その名はペッシュボンボン。

ペッシュボンボンは、その愛らしい色・形・香りからペッシュ(仏語で桃)、
ボンボン(仏語でお菓子)ということで、「桃のお菓子」という意味だそう。
名前の通り、桃のようなフルーティで甘い香りがします。

従姉妹の冥福を心からお祈りします。


昨年末から立て続けに大切な人が逝ってしまった。
いつか私があの世へ行ったとき、会える人が一人増えました。。。