lemonlemonlemonのブログ

大腸がんの治療についてこれまで経験してきたこや、術後の日常のことを書きたいと思います。

義父の他界は死の準備教育になった①


義父の他界は私にとっての死の準備教育となりました。どのようなことが死の準備教育になったのかを書く前に、まず、死の準備教育について簡単に触れておきたいと思います。


アルフォンス・デーケン(2020年9月他界)先生により、1982年ごろから「死の準備教育」が提唱されてきました。死の準備教育とは、「人間らしい死を迎えるにはどうすべきか、に関する教育をいう」という事で、デーケンさんは、「死を見つめることは、生を最後までどう大切に生き抜くか、自分の生き方を問い直すことだ。」と唱えています。(ウィキより)
「死の準備教育」という言葉は、当時学生になりたての私にとって「死」は怖いもの、自分にとっては無縁なものと思うほど遠い世界の話でした。「死」については、普段の生活の中で気軽に話す内容ではなく深刻な話にも関わらず、デーケン先生はユーモアたっぷりにお話しして下さるので、怖いものとか縁遠いものという思いが払拭されていったことを思い出します。「人は生きてきたように死んでいく」という相木哲夫先生の教えもあり、「死」について考えるというより、「今をどう生きるか」という「生」を考えることが重要だと気づかされました。


そんな重要な「死生学」を学んでからウン十年が経過、振り返ってみれば、割りとのほほんと生きてきたレモン。ですが、自分の大腸がんが見つかった時は血の気が引いて、「がんで闘病するくらいなら死んだ方がマシ」と真剣に考え、「死」より「生」が恐怖になったこともありました。それでも手術と化学療法を終え、今は元気に生きています。


これまで身近な人が亡くなるという経験は何度かあるのですが、義父が病院で亡くなりその後自宅に戻り(遺体搬送)、通夜、葬儀、火葬、遺骨となって自宅に戻るまでの一連を経験した事は初めてです。これがレモンにとって、リアルな死の準備教育となりました。義父の他界を経験して感じた事が多々あるのですが、まだ上手く言語化出来ない部分もあります。記憶が新しいうちに備忘録としてブログに残しておこうと思います。


(次回に続きます)