lemonlemonlemonのブログ

大腸がんの治療についてこれまで経験してきたこや、術後の日常のことを書きたいと思います。

義父の他界は死の準備教育になった③葬儀社選び

▲2020年4月撮影


当直医によって病室で死亡診断を受けました。そして、しばらく身内だけのお別れの時間をいただきました。その後、医療機器を外し看護師さんに体を清拭してもらいました。「看護師さんから着替えの準備がありますか?」と聞かれましたが、亡くなった後に着替えさせるものまでは想像できず準備もしていませんでした。病院に用意されている浴衣(新しいもので有料)があったので、それに着替えさせてもらいました。


そして、その後どうすればいいのか....看護師さんから葬儀社が特に決まっていなければと、葬儀社リストを見せていただきました。リストには10箇所以上もあり、何を基準に選べばいいのかさっぱり分かりません。お義母さんは、「家に連れて帰りたい」と言い出しました。その言葉に皆驚いて、子どもたちは全員で口を揃えて「自宅へ連れて帰るのはは無理だと思う」と。すぐさまお義母さんが、バッグから一枚の広告を取り出して「いつか必要になるかもしれないと思って取っおていた」と。その葬儀社は、遺体を自宅に搬送し安置するか葬儀社施設で安置するかを選べるようになっていました。費用がいくらかかるかなど他社と比較検討している時間はありません。そのチラシを見た子どもたちは、「お義母さんの思いが叶うならそうしたい」という考えに変わり、その葬儀社に連絡しました。


連絡後、20〜30分で葬儀社の職員1名(男性)が、ストレッチャーを持って病棟まで来てくれました(本来は病院の霊安室で待機しているそう)。すぐにストレツチャーにお義父さんを移し、葬儀社の方と病棟の看護師さん二人でストレッチャーを押して霊安室に向かいました。家族はその後について行きました。病室から霊安室までは迷路のようになっていて(建物が古くて建てまわしの様な構造)、結構距離があるように感じられました。移送するスピードが早くて、長男さんがしっかり支えてくれましたが、時折お義母さんの姿が見えなくなることも。迷路の先に何があるのかとふと頭をよぎりました。きっと霊安室のある場所は、地下の誰も行かないような薄暗いところにあるのだろうと想像してしまいました(怖い映画かドラマのイメージ)。やっと霊安室に到着したと思ったら、そのまま室内を素通りです。ここで、「えええ?素通りですか???折角の霊安室、それなりに厳かな雰囲気があるのに使わずに素通りですか?」と私たちはどよめきました。この霊安室には入り口のドアからそのまま直進すると出口のドアに出られるようになっていて、出口のドアを開けるとそこにもう寝台車が横付けされていました。助手席に1名乗車して欲しいとのことで、義妹が死亡診断書を持って乗り込みました。


霊安室は地下ではなく1階でした。霊安室の構造も機能的・合理的に作られていると妙に感心してしまいました。後から素通りした理由が分かったのですが、本来なら葬儀社が到着するまで霊安室待機なのだそう。


葬儀社に連絡した時、詳しい説明を聞く間もなく、連絡=決定ということで、葬儀社の方に全てお任せすることになり、あれよあれよという間に事が進んで行きました。


しかしここで困ったことが...
「お義父さんを乗せた寝台車が自宅に到着する前までに、家族が先に家に着いてないとマズくない?お義父さんを安置する客間(和室)を片付けないといけないよね〜」「ストレッチャー入るかな?玄関は通過できると思うけど、廊下を曲がれるかな〜」「寝具や祭壇用の小さな台ないよね〜」など超素人な疑問が出てきました。葬儀社の方に聞く間もなく、手際良く寝台車は出発してしまっています。私たちは各々の車に乗り込んで急いで車を走らせましたが、先に葬儀社の方が到着していました...    


お義父さんが入院して旅立たれるまで約2ヶ月間。この間に、今直ぐというより何は必要だからと少し冷静に先々のことも考えておけばよかったかなぁと思いました。ふと、昔見た伊丹十三監督の「お葬式」という映画を思い出しました。


つづく...