lemonlemonlemonのブログ

大腸がんの治療についてこれまで経験してきたこや、術後の日常のことを書きたいと思います。

父のこと

皆様、お久しぶりです。半月ぶりの記事投稿になります。


11月6日父が他界しました(享年86歳)。備忘録として父の最期までの事を綴っています(ご留意が必要な方はスキップして下さいませ)。


9月末頃から、父の具合が悪く、頻繁に帰省しておりました。父は9月末、夜になっても帰宅しなかった為、同居家族が探したところ、自営の会社で倒れていたそうです。呼びかけると何とか応答はするものの意識が朦朧としていて、転倒時の怪我(顔など複数箇所)があったため救急車を呼んだそうです。病院に到着した時に40℃の発熱がありコロナに感染していることが判明。父はヘビースモーカーだった事がたたりCOPD(肺気腫、慢性呼気管支炎)と診断されていたので、重症化リスクも考慮しそのまま入院となりました。


心配していた重症化もなく怪我も擦り傷程度で一週間ほどの入院で退院。ですが、急激に認知機能が低下してしまいました。倒れる前までは仕事もしていたのですが、退院後は別人のようになってしまい、あらゆることの意欲が低下し日中もうとうとしていて食事も食べなくなってしまったのです。そのため、再入院となりましたが、今度はせん妄状態となり、点滴を抜いてしまったりベッドから降りようとして転倒したり、「家に帰りたい」と騒いでしまったり...。


と言うことで強制退院となってしまいました。主治医からは、経口摂取が出来なくなったらという説明があり、家族で話し合い、延命治療はしないと決めました。おそらく父自身もそれを望んでいたと思います。


二度目の退院後、トイレは自力で行けるものの、お風呂は自力では入れず、食事を食べさせようとしても食べず、母の介護では対処できなくなり、デイケアに行くことになりました。
この時点で、娘の私の事も分かっていたかどうか...分かっているようなフリをしていましたが...。


デイケアに行けたのも束の間、全く経口摂取が出来なくなり、24時間傾眠状態となってしまいました。延命治療はしないとはいえ、最低限の水分補給のために訪問看護による皮下点滴と身体看護(清拭や口腔ケアなど)をお願いしました。点滴中は私や家族が父の様子を見守っていましたが、ずっと目を閉じて眠っていました(眠っていたと言うより意識低下だったと思います)。時々モゾモゾと動くので、点滴のチューブが体の下になってしまい点滴が止まってしまうこともしばしば。私が父に「ちょっと頭を上げて」「体を左に向けて」と声をかけると、ちゃんと体を動かそうとしてくれました。「あれっ?聞こえてる?」、聞こえていなかったようで、たまに意識が戻って聞こえていたのかもしれません。この状態が数日続き、11月6日(月)早朝、母が声を掛けましたが応答がなく、眠っている間に息を引き取ってしまったようです。


9月末に倒れてひと月あまり。あっという間の出来事でした。亡くなる前日父に会い、仕事の都合で実家を後にしましたが、私自身これが最後になるかもしれないと覚悟はしていました。父は、眠っている間、苦しまずに、もしかしたら夢を見ているうちに、あるいは死んでしまったことにも気が付かず、静かに逝けたのではないかと想像しています。


葬儀も初七日法要も終えましたが、まだ父がこの世で生きているような気がして亡くなったという実感がありません。不思議なことに、父の事を思い出すのは私が小さかった頃の事ばかり。すっかり忘れていましたが、父が私をとても可愛がってくれている場面ばかり思い出します。「あー私は大事に育てられたんだな〜」と今更ながらに気付き涙が溢れてきます。この世に私を誕生させて大事に育ててくれた父に感謝です。ありがとう。


最後までお読みいただきありがとうございました。


さて、気持ちも新たにブログを再開したいと思います(不定期ですが)。どうぞよろしくお願いいたします。